【ネタバレあり】結末考察 このクズ男、最後まで救えない?
※この記事は映画の結末を含むネタバレ考察です。未鑑賞の方は1ページ目からどうぞ。
ラストまで観ても、スッキリしません。いや、感動的なラストに心揺さぶられる人もいたと思います。否定はしないですが、疑問です。こんなキレイにまとめて終わりでいいのか?
この記事を読んでも、映画の後味は良くなりません。むしろ言語化することで、より胸糞度が増すかもしれない。それでもいい人だけ読み進めてください。
ラストシーンを「成長」と読みたいけど、2時間半が邪魔をする
マーティは最終的に、冒頭で関係を持った不倫相手の女性が出産した病院へ向かいますよね。 普通の映画なら、ここは「成長の証」として機能する場面です。散々クズな振る舞いを続けてきた男が、現実を突きつけられて、父親としての責任に向き合う。ラストに向けて感情が収束して、「悪い男だったけど、変われたんだな」で終わる。
……って、素直に受け取れるわけないだろ!私がひねくれているだけかもしれないですが。
だって、ここまでの2時間半で、そんな心境の変化を裏付けるものが何もないんですよ。病院に行ったのは「責任感から」なのか、それとも「自分が父親であることをただ確認したかっただけ」なのか。後者だとしたら、それもまた自己中の延長でしかないわけで。 結局この映画、ラスト1シーンに「いい話風の着地」を用意しておきながら、その解釈をこっちに丸投げしてくるんです。都合のいいラストです。
マーティとSNS時代の承認欲求
この映画を観ていて一番しんどかったのは、実はここかもしれません。 マーティという男、突き詰めると「承認欲求の怪物」なんですよね。自分を大きく見せたい、注目されたい、すごいと思われたい。そのためなら周りがどうなろうと知ったこっちゃない。傷つけた相手への罪悪感より、自分の「すごい俺」っていうストーリーを守る方が最優先。
現代のSNS文化と重なるな、と。SNSで過剰に自己演出して、数字で承認を満たして、それが得られないと自己肯定感が崩壊する。マーティがやってることって、フォロワー数に一喜一憂して暴走する誰かと、本質的には地続きなんです。
だから観ていて嫌〜な汗をかくんだと思います。完全に別世界のヤバい奴じゃなくて、自分の中にも1ミリくらい存在する「認められたい欲」を、スクリーンでドロドロに煮詰めて見せつけられている感覚。共感なんて絶対したくないのに、どこか「わかってしまう」痛さがあるんですよね。1ミリは嘘ですね、がっつり自分の中にもいます。このブログがその証拠。
「胸糞映画」と呼んでいいのか
観終わって、正直「胸糞映画だな」と思いました。今でもそう思っています。 ただ、この後味の悪さはたぶん失敗じゃなくて、完全な計算なんですよね。サフディ監督の映画って限界人間を限界まで描くので、救済を用意しない、感動の文法を使わない、気持ちよく終わらせない。そんな作品が多いような気がします。マーティのラストも気持ちがいいようで、実は夢を打ち砕かれていて。救われているようで、そうでもないのかも。
考察しても答えは出ない、それがこの映画。ラストのマーティが本当に変わったのか。 承認欲求の塊だった彼が何を学んだのか。
でもたぶん、明確な答えを出すつもりで作っていないんだと思います。気持ちよくスッキリ終わりたい人には絶対に向いていません。でも、「映画を観た後に、この言語化できないモヤモヤを抱えたまま考え続けてしまう体験」そのものが、本作の価値なのかもしれません。色々言っていますが149分、マーティに振り回されながら楽しんでいた自分がいたのも事実で、悔しいですね。

